オーケンの不定期日記 オーケンブログ

「長文の理由は風邪でこもってたからもう治りましたよ」

不定期日記 / UPDATE 2019.01.19
大槻ケンヂミステリ文庫〜オケミスのツアーは次は名古屋ですね。

ミステリ文庫を名乗ったんだからそうだミステリ読もうと、レイモンド・テャンドラー著「さよなら、愛しい人」を読む。

言わずと知れたハードボイルドの古典。読んでみると何度となく既視感が。

「あれ、こういうシーンなんかであったな?ん?こういう人は他のでも出てきたな」  

既視感の理由は、この作品が後に続く膨大な数のサスペンスドラマの原点だからでしょう。
逆ね。こっちがオリジナルなの。

ちょうど、若い人がホラー映画「13日の金曜日」観て「これベタすね!よくあるやつのパクり大会だ!」と言うような。それ逆だから。これが原点なのっ。

という流れから「13日の金曜日」を観てみました。
シリーズ1作目観るのは初めてだな。えー!犯人は〇〇〇〇〇〇〇〇なのー!
と後半マジ驚いた。
んで、観終わって1時間くらいしてから、「あ、、、昔観たわ」ということに気付きました。

とても正しい「久しぶりに観た13金1」の感想だなと我ながら思いました。

古典も大事だけど最近のミステリも読んでみようと、高山一実さんがホームズの恰好で表紙をされている最新ミステリおススメ本みたいの買ってきて、2018年ベスト3だというジョー・イデ著「IQ」を読んでみた。

ラッパー殺害計画についての黒人版シャーロックホームズとでもいうべきアクションミステリにしてバディものでした。IQとは主人公のニックネーム。

まぁビックリするくらい視覚に訴えて来る文章で、絵が浮かぶどころか、よく出来た海外ドラマをテレビで観ているような感覚になる。しかも、日本語吹き替え版で。

その内「でも、海外ドラマならサッと観れちゃうものを、なんでコツコツ文字を追わなければならないんだろう?」という不思議な思いにとらわれたんですが、これ重要なことだなぁ、と。

私はいろんなスタイルで表現をやっているので、例えばひとつの題材があったとして、それを、小説にするかエッセイにするかMCやトークで使っちゃうか歌詞にするか、歌詞なら筋肉少女帯に持ってくかオケミスでやるか人に書くか、いっそブログ用のネタでもいいのかなぁ、とか。
使用先の選択に大いに悩むんですね。

で、結局どれに持っていくかは、その時その時のタイミングと何らかの必要性、あと運、ちょっと大げさに言えば運命みたいなものが理由として関わってくる、ような気がします。

「IQ」という素晴らしいキャラクターも、この先それこそ映像化されるだろうけれど、まずは小説というスタイルで表現されるタイミング、必要、運命と理由がそこにはあったんだろうね。

筋肉少女帯「ザ シサ」と大槻ケンヂミステリ文庫「アウトサイダーアート」は、ほぼ連続して書かれた歌詞が並んでいます。それぞれの曲に、2つのアルバムに振り分けられた何らかの理由が実はあるんだと思います。タイミングと必要性と運命と。

それがもしちょっとずれていたら、例えば「ぽえむ」が「ザ シサ」に収録されて筋少が演奏していたかもしれない。

(そしたらきっと音大きくてポエトリーリーディングなんにもライブで聞こえなかった)

なぜそのスタイルでの表現になったのか?
という問題でいえば、絶賛公開中「緊急検証THE MOVIE!ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー」ですよ。

アレ、なぜ映画というスタイルになったのか!?番組のスペシャル編でテレビでフツーにやればよかったんじゃないのか!?なんで後半が情熱大陸スタイルなのか!?青汁の宣伝スタイルじゃダメだったのか!?

表現のスタイル選択の謎が、もはや「そもそも映画ってなんだろう?」というジャンル自体の不安定性にまで及ぶという、とりあえず存在のその理由そのものがミステリな怪作だと思うので未見の人は観て謎に包まれたらいいかと思います。


岡山でのオケミス↓